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こんな寒い雨の日だか雪の日に想うこと。


僕はどちらかと言えばちっとも優しい人間でもないし、モノ作りにおいても優しさを
考えることはあまりない。

たぶんやさしさってそれ自体を持ち合わせていないのかもしれないと想う。

前から書いてもいるけれど、僕は「僕の為」にしかなにもしない。
それはとても身勝手なことだ。

「他人のため」になんてなにも出来ないと想うし、そんなのはどうにも性にも合わないし
嫌だなと想う。

ただし、「この人」だったら自分の「なにか」(それは時間だったり労力だったり、腕力
だったりするのかもしれないけど)を分け与えてもいいと想ったりもする。
僕にも嫌いな人や苦手な人は沢山いるけれど、出来るだけ自分にとっての「この人」を
沢山にしたいと想う。沢山の人にそうでありたいと想う。

正直に言って、いわゆるベーシックコース(そんなもんないと思うけど)な生活と言うか
大袈裟に言えば人生というかね、そんなものを歩んだ記憶はない。というか過去の記憶が
ないに等しい。それは振り返ったり思い返すのが得意ではないし、そんな暇があったら
「たった今が」「過去に変わる」この瞬間に自分にとっての一番大切なことをしていたい
と思うから。

もっと生まれつき優しさのある人間になれたらよかったと思うけど(少なくとも自分の
親自体はそうだろうなと、彼らを見ていて思うから)ないものは仕方ない。

「他人のため」になったり「他人が喜んでくれること」これは僕から見ると奇跡だし、
例えば僕から見た相手が勝手に決めることでもあるんだ。

ありがたいことにモノを作っていて(正確には発案していて)受け取って(これは正確では
ありません、本当は皆様に買って頂いているしそのお金は皆様が大切な時間や労働という力
の基に得たものですから)いただけて、喜んで下さる。気に入って下さることがあるから
「今」もこうして仕事が出来るし、明日の仕事がある。

これも奇跡だということを忘れたくない。

ちょっとややこしい話だね。でもまぁ、いいか。
少なくとも僕は「誰かの為」にモノを作るつもりはない。ちょっと違うか、優しい気持ちで
モノを作るつもりはない。なぜならこれは僕にとって真剣なある意味での闘いでもあるから。
もちろん自分にとってのだけれどね。僕は例えどんな職種であろうとも仕事とはそうあるべき
だと思う。自分が仕事に向かう時はそうでありたいと思う。
だって仕事があるだけラッキーだと思うし、僕にとって仕事とは自分の存在意義そのものだと
今は思っているから。
ダメだったらやっぱり自分の力不足だと思うし、もちろんそうならないために朝の10時から
夜中の2時だとまで仕事をしているつもりだから。本音を言えばそんなに長い時間仕事の向かう
のは現実的に終わらないこともあるけど、あとはきっと恐怖感からかな。
自分の中の自分に追われる感じ。いっつもそう。ま、昔からだけど。

たまに少し疲れもあるから仕事を早めに(ここで言う早めとは日付が変わる寸前という意味)
やめてみたりするんだけれど、部屋にもどってもなにもすることがないというかなにをして
いいのかが分からない。ちょっとのお酒と読書くらい、それも何度も何度も繰り返し読んだ
古い本。テレビをつけてみても悲しいニュースばかりだからどうにも苦手だし。

結局真夜中にちょっといろいろ思いついちゃってメモ書きなんかを始めたりしちゃうんだ。

結局分かって欲しいと言うか、言いたいことは「共有」や「共感」ってことなんだと思う。
僕の身勝手で出来上がるモノに対しなにかの感情、好きだとか嫌いだとかそういうのが
ありがたく仕事をさせてもらえてることに繋がる。

だから、やっぱりいつも思うのはこの奇跡に対する感謝と直接的なみんなへの感謝。
ほとんどの人は当然面識すらもないんだけれど、きっと僕の大切な家族、兄弟たちが
いい人だから心配してない。

ちょっと先の企画だとか新しい試みだとかを昨日からずっと考えていたからこんな内容なのかな。

元気で、風邪などにみんな気をつけて。
僕は今日も肩コリです。


バイバイってのはお別れみたいで嫌だから、またねっていつも言う。

またね。




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