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自分が特別だなんて思ったこともないし、きっとそんなことはないと想う。

なんの秀でた才能も能力も持ち合わせてはいないし、なによりその事実を
僕自身が感じてしまっているということ。それは才能がない大前提のこと
だとも思うんだわ。



にも関わらず有難いと言えばいいのか、濁った湖面から優雅に泳ぐ魚が見
えないように、うまい表現は見当たらないけれど。
時々「特別である」と言われたりすることがある。
意に介さずに塞き止められた緩やかに流れ出す河の水のように放っておけば
いいのかもしれないけれど、時々その言葉に僕自身がとらわれて自分自身が
混乱することがある。
しばらく時を納めるともちろんそれらの言葉は自分の中に有難い気持ちで根
付き始めてある種の褒め言葉として受け入れることだって出来る。

もちろん対する「誰か」にとっての「特別な人」でありたいと。
そう想われる人間でありたい、そう自分自身人間として成長していきたい。
そんな風に当たり前に思う。

混乱することの中には僕にはあまりにも感情を表立って表現する顔の引出し
が少ないということもあるのかもしれない。
小さい頃からそうだから仕方がないと言えばそれまでだけど。

喜んだ顔。それが自分で想像出来ない。

そして想像が出来ないということは、出来ないことへとかわっていく。

きっとそれによって多くの人を傷つけてきた様な気もするし、ある部分で
沢山のことを失ってきたかもしれない。

でも、それを変えることは出来そうにもない。
想像するということは、それが事実や真実や現実に繋がる引き戸みたいな
ドアだと思う。だとすればきっとそのドアに鍵を掛けてしまったのもきっと
自分自身なのかもしれない。

小さな、チイサナヒトリゴト。






また次から旅の話の続きを書きます。




writing & photograph by JOHNNY BROWN





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