2012-04-09 JOHNNY BROWN Blog
外はとても暖かだ。
桜も咲き誇ってる。
なんかいいね。
学生達は少し背伸びしてるように見える。
街をあまり歩かないから分からないけど、きっと新社会人とかもいるんだろうね。
少しだけでも明るい未来を感じたい。
春だもん。
うちの事務所であり店は地下だからこれだけ外が暖かくても随分と逆行して
涼しい。
涼しいってよりは寒いくらいだ。
事務仕事で少し手がかじかんでる。
元々血行が良くないせいだね。
手が思った通りに動かない。
よほど暖かい季節にならない限りはいつも俺の手はこんな感じ。
単車の運転の時とかいつも困るんだ。
まぁたいして気にはしないけど。
今週末南三陸町って場所へ行ってくる。
だから少しづつ書こうと思った。
なにから書いていいのか手探りだ。
きっかけは「ふんばろう東日本」から。
いくつものプロジェクトをしている。
本当にすごいと思う。
最初に知ったのは随分と前で俺は何度かここにも書いているけど糸井重里さん
のHPを良く見ている。ちょうどここ1年くらいは毎日見ている。
日課の1つ。
そこで「ふんばろう」を立ち上げた西條さんと糸井さんとの対談があったのが
きっかけだ。
糸井さんは「スコップ団」とも繋がっていく。
対談を少し読んでいてとにかく衝撃を受けたのを憶えている。
すごくクレバーで無駄がなくて、かつスムーズに現地への支援方法を生み出している。
「こんな考え方をこの状態から生み出せる人が居るんだ!」
ってのが素直な感想だった。
俺には到底出来ない。
出来るわきゃないわね。俺はあまりにも感情と突発的に動くことしか出来ないし
頭の出来も良くないしね。
西條さんは早稲田大学の先生みたい。
あと自分の伯父さんを震災で亡くしている。
すぐに自分になにが出来るか考えた。
こんな小さな会社で2人しかいない。
これは「one FAMILY」にも言えることなんだけど、くやしいというか歯痒いというかね、
俺の全部をどこかへ突っ込んでしまうとどうしても日常の仕事の手が止まる。
元々ゆとりがあってやっている仕事ではない。
お金の面にしたって正直いつもギリギリの運営だもんね。
それでも「自分で」というつもりと「続けること」の意義を持って「one FAMILY」を
始めた。それさえままならない自分が感銘を受けたからといって「ふんばろう」になにが
出来るのか。少しの空いた時間を使って考えた。
すぐに出来たことはやっぱりお金の支援だった。
自分の小遣い程度のお金を投入すること。
西條さんや「ふんばろう」が優れていると思ったことは「手」が「どこ」に「届いている」か
ということがちゃんと伝わること。
赤十字や他の支援機関、支援機構が悪いわけではなく「より具体的で明確に」例えば
振り込んだお金達が「どう」使われているかが見える違いが大きかった。
俺は未だに「one FAMILY」で集めたお金を持っている。
使ったのは震災初期段階で石巻、仙台を中心に物資を直接搬入させた時に当時の店長に使わせた
お金だけだ。
「なぜか?」
みんな「俺」を通して支援の為にお金を払ってくれた。
それを最終的に「見える形」のあるところに渡したかった。
「スコップ団とのアイテム」の時は明確に使い道がハッキリしていた。(花火ね)
だからそこに迷うことはある意味で必要なかった。
みんなが俺やうちのブランドを信じて託してくれたお金を見えない形で使って
欲しくなかった。
あとは自分が足を運ぼうと思ってそこで出逢う中でその使い道を模索しようとして
いたが実際には前の店長が居なくなってしまったりして、その為の時間を割けなかった。
西條さんの動きを見ていて何度も出来てきたフレーズがある。
「息の長い、かつ有効な支援を続けること」
その言葉や想いにとても助けられたんだと思う。
正直みんなから預かっているお金だ。
早く使ってしまいたかった。
想いはとても大きなものだ。
だけど、これが長いミッションになることは分かってたから自分にもブレーキをかけた。
最後まで支援先を決めれなかった要因の1つに「子供に向けて」という俺の
想いがあった。そしてそれをずっと探したけれどここだ!と決めきれる場所がなかった。
そしてそれを西條さんにメールしたことがある。
(逢ったことは未だにないのだけれど)
「子供に対する支援先でかつお金の使い方、その先が見える支援先って知ってますか?」と。
(実際にはもっと長い文面だったけど要約するとこんな感じ)
西條さんは丁寧に返事を下さった。
残念ながらそういった活動機関は西條さんも知らないというのが返答だった。
(すごい丁寧に赤十字のことやあしなが基金のことも教えて下さった)
でも、最後にこう付け加えてあった。
『子供を守るのは大人の役目です。大人を助けることがその周りの子供達を救うことにもなります』
ハッとした。
「子供へ」目を向けたいと思っていた。
そしてその気持ちは今も変わってはいない。
けれど西條さんの言葉にあったことはとても的を得ていると俺は思ったんだ。
現地には常駐出来ない。
子供は大人助けがないと生活は成り立たない。
だから今すぐに子供に対してなにかがしたくてもそれはある意味で永久的に続く
「後方支援」しかない。
であるならば、西條さんの言う通り大人を助ける為に動くこと。
そして「目の届く形」で「直接的」な支援をすること。
それがみんなが「俺んた」に預けてもらったお金ですることだろう。って。
大人は距離が離れていてもその間「自立」した「生活」は出来る。
そして「俺」が「持っているもの」から「分け与えられること」「手が貸せること」
それは「仕事」を通したものだって気がついたんだ。
「仕事」とリンクさせることで「恒久的で永続的」そして「直接的」な支援に繋がる。
それが今回南三陸へ行く始まりの話。
俺んたの仕事の基本フィールドはアパレルです。(俺は個人ではいろいろやってるけど)
アパレルと「ミシン」は切っても切れない縁です。
ふんばろう東日本プロジェクトの中に「ミシンでお仕事プロジェクト」というのがある。
俺らはこのプロジェクトと共に動くことに決めた。
続きはまた書きます。
***
THANKYOU for all my Sweet FAMILY and we are thee ONE FAMILY.
writing & photograph by JOHNNY BROWN(Urano Takahiro)
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