2012-04-10 JOHNNY BROWN Blog






朝から店の通りの近くを親子連れが通る。

どうやら幼稚園の入園式みたいだ。

店のすぐ近くにある幼稚園は沢山の桜が植えられている。
横には協会もある。
素敵な場所だ。

そこににこやかな笑顔で向かう親子の姿。
特に晴々とした子供の顔は素敵に見える。

葉桜前で良かったね。
ちょうど満開だよ。

空も気持ちがいいくらいの青空だ。

空も、木も、すべてが君たちを祝福してるみたいだね。

素敵な大人になってよ。
そしたらきっと世界は今よりもっと素敵になるからさ。

こんな大人が言えた義理はないけどね。

心からそう思う。


昨日の続き。

きっかけはもらった。
これはいつだって縁だと思っている。
「すごい」とか「素敵」だと思う。

そこに自分がなにかしらのことが出来るならそれは縁だと思う。
知らなければ出来ない。
知ってから見て見ぬフリだって出来るけど、気分が良くない。
良くないっていうよりは「やりたい」って勝手に思う。

だからやる。

理由はいらない。

不要な手ならやらないかもしれないけれど、こんな汚れた手でも
なにかの役に少しでも立つならって思う。

善人だなんて自分のことを思える程バカじゃない。
バカじゃないっていうかそりゃ無理だ。
自分で振り返ったっておつりがくるくらいいろんなことはやったもん。
一生かけてもそれは償い切れないだろうなって思う。

西條さんたちの「ふんばろう」を知って、「ミシンプロジェクト」のことを
知ってすぐに思いついたのはうちの事務所にあった古い生地達だった。

ちょうど古い事務所を片付けている最中でイタウとも余った生地に関しては
困ってもいた。モノを作る際にはどうしても余分が必要だしいつもどうしても
余りは出てしまう。これはある意味ではアパレルの宿命的な部分でもある。
引き取ってもらうにもお金は掛かる。
要らないモノを受取ってもらうという部分にはいささか抵抗も感じたのけれど
必要がないのであればこちらで処分すればいいだけのこと。

たった一通のメールでそれは「誰かにとっては必要」なモノへと昇華すること
があるんだって。

それですぐに「ふんばろう」にメールをしてみた。

返事はすぐに返ってきた。
スタッフの方が丁寧に返信して下さった。
そしてその生地を必要としてくれた。

ちょうど数日後に俺んたは「スコップ」の為に宮城に北上する予定もあったし
KAORUちゃんがうちのサンプル達を石巻を中心に配ってくれるってことが
決まっていたからレンタカーを押さえてあった。

このタイミングで。
全てがリンクしているように感じたのを憶えている。

そしてその生地達を目一杯レンタカーに積み込んで早稲田大学へと運び込んだ。

学生が沢山居て、大きな建物で、俺なんて高校までしか出てないし(専門学校中退)
大学なんて行ってみようなんて気も持ったことがなかったからちょっとドキドキ
した。
まぁ向こうから見れば完全に場違いの強面のおにぃちゃんが2人乗込んできたように
しか見えんかっただろうけどさ。

スタッフの方々(みんなもちろん無償のボランティア)と学生さんが来てくれて
運んでくれた。名刺を交換して「また言って下さい」とだけ言ってあとにした。

たぶんここまでの話は10月とかそのくらいのことだったと思う。
自分で振り返っても懸命な半年(3月から数えてね)を過ごしていた時期だった。

本当に倒れるかと思うくらいに忙しかった。
昨日も書いたけど、それでも少しも間に合わなくて悔しくて歯痒くて、そして
悲しかった頃。
ようやく少しだけ隙間のヒカリのようなものが見えた時期でもあった。

「出逢ったもの」「出逢った人」

自分が手を貸せる全部に対して理由なく全てやろうと決めた時だった。

それでも今でも追いついてないけど、このくらいから「時間を作る」こと
「余らす」ことを考え出した。このままではやりたいことがあっても足りない。
足りないことに対して現状で人を足したりする余力もない。
だったら今のままそれを「作り出す」しかないって思ったんだ。

手帖を新調して今までのことを今までのクオリティを落とさずに倍速になる
ように心掛けた。体はもっとタフにしないといけないと思った。
言えなかったけど今までより意識して無理矢理でも食べた。(大したことないって
言われそうな量だけどさ)
休める時にしっかり休んだ。
そして動いたつもり。

それでもこんな程度だったね。
ごめんなさいってのが一番かな。
よくやったと自分になんて言えそうにない。

あとはそんな自分のこともどうでもいいってのもある。
だってまだ終わってないから。
まだ始まってもいないところだって、人だってきっといるから。
そうでしょ?

単純に考えてみたら分かるよ。
終わりっこない。

それでも人の記憶は薄れていく。
なにもなければないだけそれは早いかもしれない。
実際には俺だって「なにもなかった1人」。

だから恐い。
忘れそうになるような気がするから。
だから何度も足を運ぶ。
目で見る。
匂いを嗅ぐ。
声を聞く。
風を感じる。

ニュースや報道を全部信用出来るようなタチではないけど、少しでも現地に
関する記事があれば出来る限り読むし探す。
そうすることで忘れないようにもする。

俺は特にバカだし記憶が薄いからね。
そうしていないといけないんだわ。

全部を突っ込むことは出来ない。
日々の仕事もある。それは昨日も書いた。
今までのことをしながら、余らせた中でそれを惜しむことなく全てぶつけること。
それが今のミッションだと信じている。

西條さんは短期かつ直後に必要だった支援を効率良くしていた。
そして同時に長期に渡る支援のビジョンも持っていた。

さっきの生地の受渡しに行けたのだって10月って時期だった。
急務な物資の支援はある程度落ち着いていた。

スコップ団は今年の3/10までって決まっていた。

考えた。
「1年」というそれぞれの区切りの中でそれを新しいスタートにしようと。

撤退したり支援をやめていく人達が多くなると思った。
あとは永続的に続けていく為にはこんな足りない頭でももう少し整頓して
組立てることが必要だった。

「無理」をしたまま続けてもダメだと思ったんだ。
無理は負荷を生む。負荷は時間を追うごとに見えないなにかを潰していく。
バランスを保てなくなると続けられなくなるって思った。

もっと「自然な形」が理想だった。
自然な形で永続的に無理なく続けられること。

そして最後にこれは俺んたらしく「楽しく」。

悲しみの先を楽しめるように。

俺はそんな風に思った。


また書きます。
石巻へ行って思ったこととミシンプロジェクトに感じたこと。






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writing & photograph by JOHNNY BROWN(Urano Takahiro)


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